もはやラーメン店に“隠れた名店”は存在し得ない
今日のお昼、同僚たちがラーメンを食べに行くという話をしていて、それを聞いていた私もすっかり“ラーメンの口”になってしまった(ありますよね、ある食べ物の話を聞くとそれが食べたくなること。CMで見るなんて、それの最たるものですが。で、その食べ物を食べたくなることを“〇〇の口になる”と言います)ので、前から気になっていたラーメン店に行ってきました。
お店の中を見た途端、正直、少し嫌な予感はしました。
なぜなら、お昼時だというのにあまりお客さんが入っていなかったからです。
しかし、すでに“ラーメンの口”になっていたことと、以前から気になっていたということに背中を押され、入店しました。
で、食べた結果、あまり美味しくなかったというわけです。
いや、そもそもラーメンなんて不味く作る方が難しいくらいの食べ物だと思うのも事実で、実はそんなに不味くはなかったし、実際完食もしたのですが、それでもやっぱり、「あー、これはやっぱり流行らないよね」という味だったと思います。
ラーメンは、日本人が最も好きな食べ物の一つで国民食と言っても過言ではないでしょう。
ひとりの日本人が1年間に食べるラーメンの量は、成人男性なら10食や20食はくだらないでしょう。
そのくらい、日本人はラーメンに対して舌が肥えていると言えます。
また、インターネットの発達に伴い、ラーメンに関する情報は溢れかえり、そのような国民全体の集合知として、ラーメンの美味しい/不味いの感覚の共有化が進んでいるのだと思います。
すると、何が起こるのかというと、美味しいお店はよりお客さんと賞賛を集めてますます栄え、そうでもないお店にはお客さんも賞賛も集まらないという、格差の極大化が起こるのです。
ラーメンほどメジャーではない食材の場合は、それほど美味しい/不味いの価値観の共有化が国民全体で進んでいないので、どこのお店が美味しい/不味いというのが、個人的な好みに依存して語られている可能性も残されており、また、そのため、多くの人に“美味しい”と思われる可能性の高いお店があまり流行っていない、つまり、“隠れた名店”たる状態で残っているかもしれないのです。
つまり、少なくともラーメンに関しては、流行っている店が美味しいお店という当たり前の事実だけじゃなく、流行っていないお店が“隠れた名店”である可能性はかなり低いんじゃないかというのが、今日あまり美味しくなかったラーメンを食べて思った感想です。
現場からは以上です。